こんにちは、カヨです。
24時間テレビ終了後の「行列のできる法律相談所」に歌手の木山裕策さんが出演していましたね。
木山裕策さんといえばガンを克服して「home」で歌手デビューし、紅白にも出場。
歌の大ヒットと共に、当時は会社員でありながら歌手という異色の経歴も話題になしました。
そこでこの記事では「木山裕策は元リクルート社員?ガンを克服して今現在の姿は?」と題しまして、木山裕策さんの会社員時代、現在の姿について追及していきます。
木山裕策は元リクルート社員?
木山裕策さんは1992年に大阪外語大学(現在は大阪大学)卒業後、1998年にリクルートに入社します。
大学卒業後から入社まで6年空白の期間がありますが、その間何をしていたかというと、塾講師のアルバイトに勤しみお金を貯め、専門学校に通っていたそう。
歌うことが大好きだった木山さんは歌の仕事を夢見ながらも無理だと思い、かといって会社人間になるのも嫌で脚本家を目指していたそうです。
その後27歳の時に結婚して子供を授かった木山さん。
家族のために夢ばかり追ってはいられないと決意し入社したのがリクルートだったんですね。
たしかに子供が生まれるとオムツだったりミルクや肌着と夫婦二人だけだった時とは全く別のお金がかかりますからね。
当時はまさにインターネットが普及し始めIT業界に勢いがあった時代。
深夜残業も当たり前の激務を日々こなしていたそうです。
愛する家族のために身を粉にして働いていたんですね。
「home」がヒットしていた当時は会社員でありながら歌手という、いわば二足の草鞋を履いた状態。
今は普通に会社に勤めながら副業しています!という人も多いですが、当時はレアなケースで私も「えー!紅白出てるのに会社に勤めてるの!?」と驚いたのを覚えています。
勤め先がリクルートでIT業界だったということもあり、会社的にも認められ挑戦できたのではないでしょうか。
ガンが発覚!再び歌手をめざしたきっかけは?
リクルート入社6年目にしてマネージャーに昇進した木山さん。ますます忙しくなった日々の仕事をこなす中、36歳の時に受けた人間ドックで甲状腺ガンが発覚。
甲状腺はちょうどのどぼとけの下の部分ですぐそばに声帯を動かす神経も通っています。
とてもデリケートな部分のため手術が成功したとしても声が出なくなる可能性もあると医師から宣告を受けてしまいます・・・。
小さいころから歌うことが大好きで、歌に関係する仕事に就きたいとまで考えていた木山さんにとって歌は人生で欠かせないもの。
その時に「もっと歌を歌いたかった。もし手術が成功したらCDを作って自分の歌声を子供に聞かせたい!」と強く思ったそう。
結果的にガンという病気が歌手になるきっかけになったんですね。
術後の激痛と戦う中でも病室でイヤホン越しに聞く歌が支えになったそうです。
今現在の姿は?
声が失われることなく手術は無事成功し、賢明なリハビリの結果歌声を取り戻すことに成功。
ガン発覚時に決意した通り歌手となった木山さん。
デビュー曲の「home」はオリコンチャートトップ10入りの大ヒットとなりました。
しかし会社員兼ヒット曲を持つ歌手としての多忙すぎる生活により一番大切な家族とすれ違いかけたことをきっかけに、家族と向き合うために勤めていたリクルートは退社。
2020年現在はキングレコードに所属のアーティストとして活躍されています。
4児の父として、がんのサバイバーとして経験を生かして講演会やオンラインセミナー、病院でのライブ等も行いマルチな才能を発揮。
私も2人の男の子の母として4人のお子さん(全員男の子!)の子育て術に興味津々です(笑)
まとめ
ガンという大病をきっかけに夢を叶えた木山裕策さん。
家族のために始めたリクルートでの会社員という立場と夢であった歌手という二束のわらじをはく多忙すぎる生活をスタートさせます。
しかし一番大切である家族との時間を優先させるため2010年にリクルートは退社。
2020年今現在はキングレコードに所属するアーティストとし歌手活動や、4児の父、がんサバイバーの経験を生かした講演活動を行っています。
緊急事態宣言中は自宅からライブ配信を行いお子様も出演していたそうで、仲良し家族であることが伺えますね。
これからも家族をテーマにしたあたたかく優しい歌を届けて欲しいですね!
最後までお読みいただきありがとうございました。