陸上の山縣亮太選手が布施スプリント男子100m決勝(ヤマダスポーツパーク競技場)で9秒95の日本新記録を樹立しました!
9秒台を出したのは日本人ではたった4人のみ。
山縣亮太選手は度重なるケガから何度も復活し記録を出しつづけた経歴の持ち主で、出生が未熟児だったことから『ミスター逆境』とも呼ばれています。
出生時の体重は何グラムだったのか気になりますね。
この記事では『山縣亮太の経歴!未熟児からスター選手へ!100mで日本新記録を樹立』と題してまとめました。
山縣亮太の経歴
日本新記録の快挙を成し遂げた山縣亮太選手の経歴をまとめました。
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山縣亮太のプロフィールと経歴
- 本名 山縣亮太(やまがたりょうた)
- 生年月日 1992年6月10日 (28歳)
- 出身地 広島県広島市西区鈴が峰町
- 身長 177cm
- 体重 74kg
- 大学 慶應義塾大学
- 専門 短距離
- 所属 セイコーホールディングス
- 自己ベスト
- 60m 6秒62
- 100m 9秒95
- 200m 20秒41
- 経歴
- 2013年 世界選手権100m予選22位
- 2013年 日本選手権100m優勝
- 2016年 オリンピック100m準決勝11位
- 2017年 世界ランク自己最高の20位に
- 2018年 日本選手権100m優勝
- 2018年 アジア大会100m3位
- 2021年 日本新記録9秒95を樹立
山縣亮太は未熟児だった!
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山縣亮太選手は出生時2ヶ月早く産まれた未熟児であったことがNHKドキュメンタリーの取材で明かされています。
肺機能が不全で重度な未熟児で産まれたためか身長は伸びず、決して体格に恵まれた選手というわけではありません。
山縣亮太の出生体重は何グラム?
山縣亮太選手が何グラムで産まれたかまでは明かされていませんが、2か月早く生まれたということは妊娠8ヶ月(妊娠28週前後)でうまれたということですね。
妊娠28週の胎児の平均体重は853~1474グラム。
個人差があるので一概には言えませんが山縣亮太選手が2ヶ月早く生まれた未熟児だったということですと、1000グラム前後で産まれた可能性があります。
※追記 山縣亮太選手の出生体重は1730gの未熟児だったそうです!
産まれたときの呼吸は弱々しく、新生児集中治療室で55日間退院できなかったそうです。
一年間の外出禁止令が明けて出かけた三重県伊勢で緊急入院と、大変な乳児期を過ごしています。
陸上選手にとっては体格や肺機能は記録を大きく左右する大きな要因。
肺機能や出生体重が不全で産まれた逆境から日本新記録を樹立したというのは、多くの人に勇気を与える結果でもあったのではないでしょうか。
ミスター逆境からスター選手へ!
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山縣亮太選手は様々な逆境を自身の努力で克服し、大舞台で結果を残し続けているスター選手です。
山縣亮太選手は未熟児からスター選手へ成長した経緯だけでなく、度重なるケガに悩まされながらも何度も復活し記録を出し続けたことから『ミスター逆境』と呼ばれています。
2013年の日本選手権では肉離れからの優勝。
2017年の全日本実業団では足首痛を克服しての出場で自己ベストと大会記録を更新して優勝。
長年腰痛にも悩まされどこに行っても治らず、新幹線で涙を流したこともあったといいます。
ケガに見舞われる度に大きな大会で結果を残してきました。
しかも山縣亮太選手はコーチをつけずに練習をすることで有名な選手。
コンマ1秒を競う陸上の世界では異例中の異例です。
山縣亮太選手は記録した全ての動画を自分で見返し微細なフォームを自身で修正。
圧倒的な自己管理能力ですね。
山縣亮太選手が陸上界のスター選手になった理由は、人から与えられたものではなく、まさに自身の努力の賜物といえます。
まとめ
この記事では『山縣亮太の経歴!未熟児で出生体重は何グラム?逆境からスター選手へ!』と題してまとめました。
山縣亮太選手が男子100mで9秒95の日本新記録を樹立。
日本人で100m9秒台の記録を保持しているのは4人のみということで、気になる経歴とプロフィールをまとめました。
山縣亮太選手は2ヶ月早く生まれた未熟児だったということが判明していますが、出生体重1730gだったそうです。
妊娠8ヶ月の平均的な胎児の体重から1000グラム前後であったのではないかと予想されます。
山縣亮太選手は度重なるケガや出生時は未熟児であった逆境をはねのけ、自身の努力で陸上界のスター選手になった経歴の持ち主だということがわかりました。
オリンピック前のこの記事に日本新記録を更新したというところでも勝負強さを感じますね!
最後までお読みいただきありがとうございました。